2017年7月19日水曜日

手相占いは豊臣秀吉も利用した?

 手相占いはおよそ3000年から4000年前にパキスタンインド周辺で最初に行われました。

 その後世界中に手相占いが広がっていきますが、それぞれの地方ごとに手相の見方は異なっていきます。



中国から伝わってきた手相占い


 昔から日本で行われていた手相占いの見方は、中国の陰陽五行のやり方から学んでいるところがあるようです。

 つまり男は左手で鑑定して女性は右手で鑑定するというやり方は中国の考えからきてるわけです。 

 しかしながら現在では手相を見る人によって、両手を見たり右手を見たりと色々な手相の見方があるようです。


豊臣秀吉が出世の為につけた傷

 手相というのは自分で線を書いても効果があると言われています。

 有名な戦国武将である豊臣秀吉はまだ地位が低かった頃に”何が何でも出世してやる”と意気込んで、自分の手のひらに小刀を食い込ませて天下取りのために無理やり手相を作り出したのです。

 一般の人はそこまでしないでいいと思いますが、他人に手を見られない状況であればペンで開運の手相を書き込んでみるのも良いかもしれません。

 ”そこまではしたくないよ”と思う人も多いと思いますので、手相を書くふりをしたり、自分の行動や考え方によってじりじりと手相は変わっていくということなので、毎日の自己診断として手相をチェックするというやり方もおすすめだと思います。

  

脳科学からみたら左手は過去で右手が現在


 現在では脳科学的な手相の見方から過去のことを見るのならひだりてを見て、現在の事を見るのなら右手を見るという手相の見方が あなたに出始めています。

 手相というのは健康状態や脳の状況によって絶えず変化していっているそうなので、右手にその状況が手相となって読み取れるということです。

 手相というのは早い人であったなら3日ほどあれば変わってしまうそうなので、いま自分の手相がこうだからと悪い結果であってもあまり悲観せずに、変えて行こうと思えばできることなので落ち込む必要はありません。

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