2017年8月30日水曜日

手相の基本や歴史、国の中枢を動かしていた手相 

 手相は流派や国によって見る場所の考え方が違っていて、例えば韓国の場合は28歳までは左手を見て、29歳になると右手を見るのが一般的だそうです。


 他には、両手を組んだ時に下になる方の手を見たりします。 右手が左手かどちらを見れば良いのかということは国や時代ごとに異なっていて、本当は両方見るのがいいのですが、私の場合は最近は元々生まれ持った自分の才能を示すのは右手で、どんどん手相が変化して自分の今の現場を示してくれる線が浮かび上がるのは左手ではないかと、前に書いた記事から考えを改めました。

明らかに右の方が良い線だった場合


 なので、左手よりも明らかに右手の方の線が良い場合は、本人が知らないだけでまだまだ表に出し切っていない才能が隠れているので、自分の現状が満足できていなくてもチャンスがあるということなので悲観する必要はありません。

 右手と左手を見比べて、自分にはどんな才能が隠れているのかを理解して、そこを伸ばしていけばそれが報われる日が必ず訪れます。

昔からある手相学


 手相は5000年くらい前のインドやパキスタンあたりの国が発祥だと言われており、旧約聖書にも手相に関する話ではないかという一文が書かれていて”神は人の手に印を書いた”と言う言葉がありますので手相の事を言っているのではないかと解釈されています。

 中国などでは、最近までお医者さんが患者の手相を見ながら診断していたと言われています。

 日本の戦国時代などでは相手に送る書状に自分の手をサイン代わりに手形にしていたそうですが、これはサインだけの意味ではなくて相手の手相を見る目的もあったのではないかと言われています。

 そのように相手の手相を見ることによって、こいつは運が良さそうだから味方についておくかなどや、こいつの手相がだいぶ弱ってきたからそろそろ寝返るか、などの算段をしていたのではないかという説もあります。

 戦国大名の手形は数多く残っていますが、情報をたくみに操ったと言われている武田信玄は書状によって手形が違うそうです。

 武田信玄は、その時その時の書状の内容によって、一番向いている人を選んで代わりに手形をさせていたのではないかと言われています。

日本では最近まで手相で国が回っていた


 太平洋戦争の時、山本五十六と言う日本軍のトップがいましたが、その人は軍隊の花形である飛行機のパイロットがいつも頭脳も体力も申し分ないスーパーエリートを選んでいるのにもかかわらず事故が絶えないことに悩んでいたそうです。

 しかしある時、関東大震災が発生する前に道行く人々が死相だらけであったと言っていた占い師の水野義人という人を呼び寄せて、パイロットを選んでもらったのですが、水野義人が選んだ人たちは事故を起こしませんでした。

 その結果、山本五十六は水野義人を完全に信じ込んでしまった結果、日本が敗れる終戦まで水野義人が人事権を握って兵隊を配置していたそうです。

0 件のコメント:

コメントを投稿